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スマートな悪 技術と暴力について
¥1,540
【5/20 読書会で読む本です】 本書は「スマート」とされるAIやスマートフォンなどの科学技術がどのようにして生まれてきたのかを思想史や歴史を辿りながら、現代の日本も視野に入れて考察しています。 日々のニュースではAIの新しい面だけが取り上げられがちですが、第二次大戦やホロコースト、消費社会・管理社会が誕生した歴史のなかで様々な思想家が考えてきたことの中から考察を行っている点が特徴的です。 いまぜひ読んでいただきたい1冊です。 (ルリユール書店) ――――――― いま、あなたの周りには、いったいいくつのスマートデバイスが存在するだろうか。もしかしたら、あなたのポケットにはスマートフォンが入っているかも知れない。あるいはあなたの腕にはスマートウォッチが巻かれているかも知れない。スマートスピーカーで音楽を聴き、スマートペンでメモを取っているかもしれない。あなたの家はスマートロックに守られているかも知れない。そんなあなたはスマートシティに住んでいるかも知れない。 私たちの日常を多くのスマートなものが浸食している。私たちの生活はだんだんと、しかし確実に、全体としてスマート化し始めている。しかし、それはそうであるべきなのだろうか。そのように考えているとき、問われているのは倫理である。本書は、こうしたスマートさの倫理的な含意を考察するものである。 (中略) もちろん、社会がスマート化することによって私たちの生活が便利になるのは事実だろう。それによって、これまで放置されてきた社会課題が解決され、人々の豊かな暮らしが実現されるのなら、それは歓迎されるべきことだ。まずこの点を強調しておこう。 あえて疑問を口にしてみよう。スマートさがそれ自体で望ましいものであるとは限らないのではないか。むしろ、スマートさによってもたらされる不都合な事態、回避されるべき事態、一言で表現するなら、「悪」もまた存在しうるのではないか。そうした悪を覆い隠し、社会全体をスマート化することは、実際にはとても危険なことなのではないか。超スマート社会は本当に人間にとって望ましい世界なのか。その世界は、本当に、人間に対して牙を剥かないのだろうか。 そうした、スマートさが抱えうるネガティブな側面について、つまり「スマートな悪」について分析することが、本書のテーマだ。 (中略) ……本書は一つの「技術の哲学」として議論されることになる。技術の哲学は二〇世紀の半ばから論じられるようになった現代思想の一つの潮流である。本書は、マルティン・ハイデガー、ハンナ・アーレント、ギュンター・アンダース、イヴァン・イリイチなどの思想を手がかりにしながらも、これまで主題的に論じられてこなかった「スマートさ」という概念を検討することで、日本における技術の哲学の議論に新しい論点を導入したいと考えている。(「はじめに」より) 目次 はじめに 第1章 超スマート社会の倫理 第2章 「スマートさ」の定義 第3章 駆り立てる最適化 第4章 アイヒマンのロジスティクス 第5章 良心の最適化 第6章 「機械」への同調 第7章 満員電車の暴力性 第8章 システムの複数性 第9章 「ガジェット」としての生 おわりに (出版社データーベースより) ――――――― 『スマートな悪 技術と暴力について 』 戸谷洋志・著 講談社 2022年3月
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SNSの哲学
¥1,540
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世界を文学でどう描けるか
¥2,640
タイトルからして、文学論なのかと思いきや、2000年にサハリン島を旅したことから書き出されます。 北海道の北、かつては樺太と呼ばれた地の南から観光で訪れる人も稀な北端まで旅した日々が綴られています。 政治と歴史と民族と複雑に絡み合い、言葉も文化も異なる地での旅がミステリーのようにも感じられる文体で描かれ、引き込まれていきます。 日本の樺太への植民やロシアとのせめぎ合い、アイヌやウイルタなど様々な民族やユーラシア大陸からの流亡者など、教科書では扱うことのない歴史に触れることもできます。 過去の世界文学にも言及しながら、この旅の経験から文学とは何かを考えていく斬新な作品です。 (ルリユール書店) ――――――— いま、ここにある「世界」とは、何か また、どのようにすれば、それを叙述できるのか―― 2022年春にロシア軍のウクライナ侵攻が始まったとき、思い起こしたのは20年前に訪れたサハリンで出会った人びととの会話だった。アイヌ、ニヴヒ、ウイルタといった北方先住民族たちと、日本人、中国人、朝鮮人、ロシア人などが時代の流れのなかで移り住み、ともに暮らすサハリンで、自らをエミグレ(亡命者/流亡者)といった一人の女性。作家は、サハリンに生きた人びとの姿を通して、この世界をどうすれば描くことができるかという自問と対峙する。 いまなお続く「終わらない戦争」の時代下で、戦火から逃れ、流浪を余儀なくされる人びとがいる。世界の複雑さを直視し、そこに住むひとりひとりの生活を見つめること、想像すること。そこから、かすかではあるが、小さな光明としての、言葉が、文学がたち現れる。 目次 1 私がサハリンに行ったとき 2 ユジノサハリンスク 3 ポロナイスク 4 オハ 5 二〇年後の世界 6 『フランケンシュタイン』は、世界をどう描いたか 7 ヴィノクロフのこと 8 オタスからの世界 (出版社データーベースより) ーーーーーーー 『世界を文学でどう描けるか』 黒川創・著 図書出版みぎわ 2023年3月
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羊たちの沈黙はなぜ続くのか
¥3,300
心理学や認知科学の研究者である著者が現在の民主政治の不全がどのように起こっているのか鋭く分析しています。 ドイツや欧米に焦点を当てた本ですが、様々な点でグローバル経済に飲み込まれている日本社会においても日々感じることが指摘されています。 主なテーマの一つ、選挙に民意が反映されているように思えない状況については代議制民主政治の誕生からその特質を読み解いています。 また、新自由主義の考え方を大衆の頭に染み込ませ自己責任論を当然のことと思わせるメディアや教育に群がる知識人の存在を指摘しています。 以前はネオリベ(新自由主義)という言葉をよく耳にしていたような気がしますが、最近はその言葉を聞くこともなく新自由主義や自己責任論が当然のことのように世の中に染み渡っているのかと背筋が冷たくなります。 講演とインタビューなど章に分かれており、訳文もとても読みやすいです。第一章だけでもぜひ読んでいただきたいです。 (ルリユール書店) ―――――― 新自由主義資本主義が支配するエリート民主政治の行き着く先は、私たちの社会と生活の破壊だ。民主政治と自由。この二つの言葉は、私たちの社会にとって、とてつもなく大きな約束を意味し、その実現のために途方もないエネルギーを解き放つ力を持つ。しかし、かつてこの二つの言葉に込められていた人々の希望は、もはや影も形も残っていない。いったい何があったのだろうか? いまだかつて、この二つの言葉ほど、大きな希望が託されながら、社会にとって惨たらしいことに、本来の意味が骨抜きにされ、改竄され、乱用され、その本来の意味に触発されて考え行動を起こした人々を抑圧するための手段として転用されたものは、ほかにない。 「民主政治」と言いながら、現実の世界では、経済と政治のエリートたちが、選挙という形をとりながら、権力を独占している。そこでは社会の中心をなす経済が民主的なコントロール下で運営されず、また説明責任もない。その結果、我々の生活に直接関わってくる社会組織の大部分が民主政治の手の届かない場所にあるのだ。一方の「自由」は、今ではもっぱら経済的強者の自由を意味するようになった。 オーウェルさながらのこの転意のおかげで、これら二つの言葉は、『歴史に残る誤用単語辞典』のなかでも特別な位置を占めることになった。この二つの言葉がもたらす毒によって、人道的な社会を築き、暴力を抑えるという私たちの文明に対する希望は混乱し、濁り、分解され、集合的記憶からほぼ完全に消し去られてしまった。これら二つの言葉に結びついていた希望が文明社会から失われてしまったために、今の私たちには現行の権力構造に取って代わるべき魅力的で人道的な代替案を政治的に表明するのが難しい。いやそれどころか、それらを考えることすら困難になってしまった。 教育とメディアによる教化が、本当の権力を不可視に、社会を権威主義と全体主義に、民衆を従順な羊たちに変えた人心教化プログラムを解き明かす。新自由主義イデオロギーの本質を明らかにし、沈黙を続ける羊たちに覚醒と自己変革を促す注目のベストセラー。本邦初訳。 目次 序章 第一章 なぜ羊たちは沈黙を続けるのか?--最悪の戦争犯罪とモラルの毀損は、いかにして人々の目と意識から隠されるか? 第二章 権力エリートは民衆を恐れている。--ソフトパワーの手法によるデモクラシー・マネジメント 第三章 新自由主義の洗脳--あるネット新聞とのインタビュー 第四章 「土地を所有するものこそ、その土地を統治すべし」--デモクラシー回避の手段としての代議制デモクラシー 第五章 マスメディアによる洗脳--イェンス・ヴェルニケ(ジャーナリスト)との対話 第六章 「迷う群衆」をいかに自分たちの軌道に乗せ続けるか--公共の議論の場を制限し、異論を排斥する 第七章 中道という幻影--カルテル政党--連邦議会選挙 第八章 人種差別、資本主義、そして「支配者たち」の価値共同体 第九章 デモクラシーと白色拷問--拷問の不可視化への心理学の貢献 参考文献、人名索引 解説 水野和夫 特別寄稿 アーサー・ビナード 前書きなど 過去数十年間に民主政治はかつてないほどに空洞化した。民主政治は「民主政治の幻想」に置き換えられ、自由な公共の議論は世論操作とショックドクトリンに取って変わられ、市民の指導理念は政治的に無感覚・無関心な消費活動に変貌した。選挙はその間、根本的な政治の問題にとって、事実上もはや意味をなさなくなった。重要な政治的決定は、民主的な正当性もなく結果に責任を負うことのない様々な政治・経済グループによって下される。このような形のエリートによる支配がもたらす環境、社会、人間心理への破壊的影響は、ますます我々の社会と生活基盤を脅かしている。著者のライナー・マウスフェルトは、このような教化(インドクトリネーション=強力なイデオロギー洗脳)の仕組みを解き明かし、歴史的底流とともに多方面にわたる心理的洗脳の手法に対して、我々の眼を開いてくれる。 「特に教養層といわれる人々は、自分は知っているという幻想に陥りやすい。この階層こそは、その時代の支配的なイデオロギーの洗脳を最も受けやすい--それは、ナチの時代も今日も同じである。彼らは、彼ら自身の沈黙による容認によって、その時代の支配的なイデオロギーの重要な安定化の要因となっているのだ。」(まえがきより) 版元から一言 新自由主義(ネオリベラリズム)的資本主義はすでに50年前から世界(少なくとも西側世界)を覆っている。自由と民主政治の名の下で格差はかつてないほど広がり、資本は少数のオリガールキたちに握られ、社会と生活は破壊された。新自由主義が権威主義的で全体主義的な経済的・政治的イデオリギーであり、長い時間をかけた研究によって策定されたプログラムによって計画され実行された洗脳と教化による帰結は、少数の巨大資本が民衆を奴隷として支配する中世的社会の再来である。自由も民主的社会も中道政治も、全て概念に過ぎず、幻だ。羊の群れと化した民衆は、未だそれに気づかず、沈黙したままだ。著者は教化の心理的プログラムの仕組みを暴くことで、民衆がどのような方法で沈黙する羊にされていったかについて、緻密な観察と分析を展開している。このような絶望的に破壊的な状況は、羊たちの沈黙がなければ、達成不可能であった。新自由主義の計画は完成間近である。それは、デジタルテクノクラシーと共に完成するデストピアだ。この流れを止めるのは、羊たちの覚醒以外にはありえない。啓蒙思想の根本に返って、時代の流れを批判的に捉え直し、自然の秩序に合った正しい社会のあり方を模索する動きを推し進めることが急務だ。残された時間は少ない。 著者プロフィール ライナー・マウスフェルト (ライナー マウスフェルト) (原著者) 一九四九年生まれ。ドイツ、キール大学名誉教授。知覚と認知心理学が専門。政治・社会問題に関する研究を通じて、新自由主義イデオロギー、デモクラシー(民主政治)の権威主義統制国家制への転換、世論形成とショックドクトリンの心理操作の仕組みなどについての著作多数。講演活動にも注力しており、なかでも『世論とデモクラシーはいかに操作されているか?』と『権力エリートは民衆を恐れている』は数十万人の聴衆を集めた。 (出版社データーベースより) ―――――― 『羊たちの沈黙はなぜ続くのか』(副題:私たちの社会と生活を破壊するエリート民主政治と新自由主義) ライナー・マウスフェルト著 長谷川圭、鄭基成訳 日曜社 2022年11月
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生きることに◯✖️はない
¥2,200
1978年に刊行された本の新装復刊です。 能やきものにまつわる論考などを残した在野の思想家による回想記です。 優しい語り口で大正時代に病弱な幼年時代を過ごした少年がまだゆっくりと流れていた時のなかで快復していく姿が描かれています。 死とどう向き合ってきたのかも、この本のテーマです。 吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』が心に残ったという方にも、同じ時代を感じさせるおすすめの本です。 植田実の装画と挿絵も素晴らしいです。 (ルリユール書店) ―――――― 在野の哲学者である戸井田道三が青少年向けに書いた自伝的エッセイを44年ぶりに復刊。あらたに鷲田清一氏の解説と植田真氏のイラストを加えて生まれ変わりました。母親との死別、結核などの大病、関東大震災での朝鮮人虐殺……と、本書で取り上げられている戸井田の話は決してハッピーな内容ではありません。しかし、そんな辛い経験の中から戸井田は、「わたしが生きてきたのは、生きたというよりむしろ、ただ死ななかっただけなのだ」と思考します。そして、「生きのびているだけで、それが手柄だよ」という恩師の言葉を引き合いに出し、「生きることの意味」について語ります。そんな戸井田の言葉は、現代の若者にもきっと届くでしょう。 目次 自分と他人はとりかえられない 大事な、十四、五歳 最初のハードル 大森海岸でのこと 母の死 チイちゃんのひとこと 小学一年生のころ 母のない子の熱海 「おまえのためにびりだ」 いじめっ子のアブヨシ 田舎にあずけられて 犬を飼えない生活がある 水中に浮く変な感覚 四季のうつりかわり 父の結婚 『立川文庫』におそわって 新しい母 波音のとまる瞬間の深さへ 病気もわるいとはかぎらない 悪い本ときめたがるのは 死の淵からもどった目にうつるものの美しさ 試験は誰のためにある? ゆれる大地、関東大震災 気のすすまぬ転校 流されたうわさ ツネさんの絵 あとがきにかえて 解説(鷲田清一) (出版社データーベースより) ―――――― 『生きることに○×はない』 戸井田 道三(著) 鷲田 清一(解説) 植田 真(イラスト) 新泉社 2022年7月
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小さきものの近代1
¥3,300
『逝きし世の面影』『江戸という幻景』『黒船前夜』『バテレンの世紀』に続く、日本近代素描。鮮かに浮かび上がる、名もなき人びとの壮大な物語。維新革命では、国民ひとりひとりの小さきものの幸・不幸など問題ではなかった。本書では、国家次元のストーリーではなく、近代国民国家建設の過程で支配される人びと=小さき人びとが、その大変動をどう受けとめ、自身の〈近代〉を創り出すために、どのように心を尽くしたかを描く。 (出版社より) ------ 『小さきものの近代1』 渡辺京二 弦書房 2022年7月
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みすず 2023年1,2月合併号
¥330
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